奈良 興福寺中金堂再建落慶法要|平成30年10月7日

今回は地元奈良でのお話です。

ちょうど2ヶ月前の今日、

秋晴れの下、奈良念願の興福寺中金堂再建落慶法要が執り行われました。

301年経っての再建落慶法要。

当日の興奮を振り返ってみようと思います。

興奮のあまり、建築的なお話はほとんど無いような・・・

本日の主役 再建中金堂
本日の主役 再建中金堂

私は力強い五重塔と軒のラインが美しい北円堂が一押しなのですが、

今日の主役は何と言っても中金堂。301年経っての再建です。

おめかししてもらった中金堂。仕事の都合で、ほぼ毎日この形式を見ながらしばらく過ごしていたわけですが、屋根の頂部(棟)にある金色の鴟尾(しび)は数日前には白い布で覆われて、今日の落慶法要に備えていたのも目にしました。

興福寺5兄弟
興福寺5兄弟

 

興福寺にはそれぞれが主役級の建物ばかりなので普段は単体で撮影することが多いですが、今日はここぞとばかりに5兄弟を撮ってみました。三重塔と仮講堂は入りきらず、全員集合とはならず・・・

広角でもないカメラで撮ったので多少強引なところがありますが、右下に本日の主役の中金堂、右中ほどには東金堂(の軒先)、正面中央に南円堂、から右にスライドして北円堂、そして左にそびえるのは五重塔。実は一緒に居た母もこっそり写っています。

中金堂の棟でスタンバイ中
中金堂の棟でスタンバイ中

中金堂の裏(北側)ではスタンバイ中。

高さ21m、足がすくんでしまいそうです。屋根上から散華を撒いてくださいました。屋根好きな私にとっては少々ジェラシーを感じた瞬間でした。

五重塔でスタンバイ中
五重塔でスタンバイ中

こちら五重塔でもスタンバイ中。五重塔三層目からも散華。人と部材のサイズ感が分からなくなりますね。

五重塔は見るたびに印象が違うように思います。こちらの心持ちによって変わるのでしょうか。今日はどことなく誇らしげ。これからもずーと見守ってくれそうな安定の五重塔。

全て手書きでかかれた散華
全て手書きでかかれた散華

ドンっと地を打つような太鼓を合図に五重塔と中金堂の屋根上から撒かれた散華。今回は散華写経。コピーではなく、全部手書きで書かれたものでした。


工事中の中金堂の写真

垂木の仕上げは手加工(2017年12月撮影)
垂木の仕上げは手加工(2017年12月撮影)

実はこの落慶法要の約1年前に、まだ足場が設置されていた状況で中金堂を見学できる機会がありました。近くで見ない限り、気付かない。この手間と苦労は心に刻んでおきます。この垂木だけでなく柱もすべて手加工なので、拝観の際は是非味わってほしい質感です。

中金堂の足場から五重塔を望む(2017年12月撮影)
中金堂の足場から五重塔を望む(2017年12月撮影)

こちらも昨年の12月撮影の写真。中金堂の足場から五重塔方向を見ています。五重塔はいつも見上げてばっかりだったので、この目線で見ることはおそらく無いと思うと、ついつい見とれてしまいました。

そう言えば、ちょうど新元号の時期が議論されている途中だったようで、鴟尾に刻まれた元号のことを心配されていた関係者もいらっしゃったのが印象的でした。


境内整備委員長の座長を務められた鈴木嘉吉先生(中央)
境内整備委員長の座長を務められた鈴木嘉吉先生(中央)

白い帳の中で執り行われた法要終了後には、参列者の皆さんがご退席。しばらく“外野”から眺めていると、鈴木嘉吉先生のお姿が!鈴木先生は今回の再建の整備計画を担当された奈良国立文化財研究所 元所長さんです。学生の時から論文や書籍でお世話になっていたものの、はじめての対面で少し緊張してしまいました。

 

そんな私をよそ目に、いてもたってもいられず話しかけた母に、とっても穏やかな笑顔で対応してくださいました。

残すところは西金堂と南大門、講堂(現在は「仮講堂」が建ってますが、今回中金堂が再建されるまでは、長年「仮金堂」として役目を果たしていた、用途と名前を七変化してきたカメレオン建物)、食堂(現在は国宝館が建ってる)っといったところでしょうか。まだまだ道のりは長いですね・・・

 

 

仕立建築舎 平賀